「靴磨きの少年」

先の大東亜戦争で日本が敗れた翌年の昭和二十一年、日系アメリカ人、ジョージ・アリヨシさんは占領軍の一員として東京、丸の内の郵船ビルに勤務した。ビルの前にはいつも七歳位の靴磨きの少年がいた。いつも背筋を伸ばして礼儀正しく、しかし身なりは大変みすぼらしくて、いつも空腹のようであった。同情したアリヨシさんが食堂でパンにバターとジャムを塗りナプキンに包んで少年に「食べなさい」と渡した。少年はそれを大事そうに道具箱にしまった。どうしたんだい「お腹が減っているだろ」と聞くと、少年は「私の家族は二人で、三歳の妹がお腹をすかして待っていますから、持って帰って二人で食べたいと思います。ありがとうございます」と礼儀正しくお辞儀をした。

日系人のアリヨシさんは、少年と同じ日本人の血が流れている事を誇りに思った。教育勅語が謳いあげたのは、このような文化だと思う。


日本史を歩く 岡島 茂雄著

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